吉村順三はどんな人?代表作の軽井沢山荘や弟子の奥村昭雄について詳しく解説!

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デザインについて考える、クオホーム本田です。

吉村順三は、日本建築家として有名な人物です。

和モダンの設計に吉村順三の名前が挙がることが多く、数々の名作を生み出してきました。
実は現在使われている革新的なデザインや設備も、吉村順三がいたからこそ生み出されたものなのです。
『吉村障子』のデザインを生み出したのも、吉村順三です

「吉村順三が何者なのか?」「吉村順三に弟子はいるのか?」と、現在でも語り継がれる偉大な巨匠について確認しておきましょう。

この記事では、吉村順三について経歴や有名な作品例をまじえて詳しく解説します。
最後まで読んで吉村順三の魅力を知ってください。

彼の残した作品は素晴らしいものばかりです。

私も吉村順三の作品を訪れたことがありますが、どれも素晴らしかったです!軽井沢にある代表作「脇田山荘」に行った際の動画がありますので、吉村順三を知るための参考として視聴してみてください。

【You Tube】吉村順三氏設計の軽井沢にあるアトリエ山荘【脇田山荘】に行ってきた!

 

吉村順三とは何者か?

吉村順三は、1908年東京出身のモダニズム建築を代表する日本建築業界の巨匠です。

東京美術学校(現東京藝術大学)で建築を学び、アントニオ・レーモンドに弟子入りして建築技術を磨きました。

アントニオ・レーモンドは、チェコ出身の近代建築三大巨匠の一人です。

レーモンド氏は、帝国ホテル建設のためにフランク・ロイド・ライトとともに来日し、戦前・戦後の日本で多くの作品を手掛けました。

吉村氏はレーモンド氏からモダニズム建築を学ぶだけでなく、自ら日本の伝統建築を教えました。
吉村氏とレーモンド氏がお互いに建築技術を教え合い、モダニズム建築と日本の伝統建築が融合してできあがった技術が和モダンな住宅建築の基礎です。

その後、吉村順三は以下のように設計事務所を設立し、大学教授に日本芸術院会員へと就任していきました。

1941年、吉村順三設計事務所を設立
1962年、東京藝術大学教授に就任
1990年、日本芸術院会員に任命
1998年、90歳で故人となる

吉村順三は、具体的にどのような功績を残して巨匠となったのか、深堀りしていきましょう。

吉村順三は日本の建築業界に大きな影響を与えたパイオニア

吉村順三は、日本の建築業界に大きな影響を与えたパイオニアです。

将来の建築業界を担う巨匠たちに影響を与えた存在として、建築業界で高い名声を獲得しました。
吉村氏は永田昌民氏、奥村昭雄氏、堀部安嗣氏など、後に建築業界の巨匠となる職人に大きな影響を与えています。

永田昌民氏は木造モダニズムに精通するだけでなく、鉄筋コンクリート造でビルやホテル・大学を手掛けるなど、吉村氏が生み出した和と洋が融合した和モダンに強い影響を受けています。

奥村昭雄氏は現代建築における巨匠として国内外で高い評価を得ています。奥村氏は東京大学・名古屋大学・愛知県立芸術大学など、多くの大学で教鞭をとるほど知識とスキルを兼ね備えた建築家です。

堀部安嗣氏はモダニズム建築に長けて、東京都にある日本舞踊博物館や大阪府の梅田スカイビルなど数多くの有名な建築物を手掛けてきました。

いずれの建築家も吉村順三に大きな影響を受けており、吉村氏は日本の建築業界を育てたパイオニア的な存在と言えるでしょう。

伝統的な日本家屋とモダニズム建築を融合させた和モダンの生みの親

吉村氏は、伝統的な日本家屋とモダニズム建築を融合させた和モダンの生みの親です。

日本家屋の持つアシンメトリーと質素なデザイン性を兼ね備えたワビサビと、機能的でスタイリッシュなモダニズム建築を融合させたことから、「和モダン」という新しいジャンルを生み出しました。

特に自然光を取り入れて建物を美しく魅せる技術に長けており、「吉村障子」と呼ばれる和モダンに合うスタイリッシュな障子の生みの親です。

吉村順三は、建築業界において和と洋を融合させた和モダンの生みの親として名を馳せています。

吉村順三の弟子である奥村昭雄について

吉村順三に影響を受けた建築家はたくさんいますが、中でも奥村昭雄は吉村順三設計事務所で働いていた経歴がある直属の弟子です。

吉村順三から建築に関する教えを受け、後に「OMソーラー」を生み出した奥村昭雄について深堀りしてみましょう。

奥村昭雄の経歴

奥村昭雄の経歴は、以下の通りです。

1928年東京生まれ
1952年東京美術学校建築科卒業
東京藝術大学改築計画を担当
1956年、吉村順三に弟子入りし、吉村順三設計事務所で勤務開始
1964年、東京藝術大学美術学部建築科助教授
1978年、木曽三岳木工所設立
現在、木曽三岳奥村設計所代表、東京芸術大学名誉教授として活躍中

奥村昭雄は、東京美術学校建築科を卒業後、東京藝術大学改築計画を担当した経歴があります。
その後、吉村順三に弟子入りして吉村順三設計事務所で働き始めました。
吉村設計事務所で建築技術を学んだ後は、大学教授として教鞭をとり木工所を設立して独立していきます。

現在の奥村氏は、木曽三岳奥村設計所の代表兼、東京芸術大学名誉教授として活躍する建築界の巨匠へと成長しました。

OMソーラーの生みの親

奥村昭雄は、吉村順三の弟子として技術を高めた後にOMソーラーを考案しました。

OMソーラーは、太陽光を集める鏡やレンズを使わず、特殊な形状の半導体素子を活用して太陽光を集めます。

従来の太陽光発電パネルは、太陽光エネルギーを電気に変換してからエアコンや換気・照明などに使用する電気エネルギーに変換します。
しかし、OMソーラーは太陽光エネルギーを電気に変換せず、熱エネルギーとしてエアコンや換気を動かす仕組みです。

太陽光発電パネルと違い、直接太陽光エネルギーを活用するため無駄なくエネルギーを使用できます。

OMソーラーの頭文字は「O(おもしろい)」「M(もったいない)」が語源であり、エネルギーを無駄なく活用できるおもしろい設備として名付けられました。

余分な設備を搭載せずに使用できるOMソーラーは、太陽光発電パネルより安価に設置でき、エネルギー効率が良いため省エネ性に優れています。

奥村昭雄が生み出したOMソーラーについて、詳しく知りたい方はぜひ下記の記事を読んでみてください。

【省エネ住宅を建てる】OMソーラーとは?太陽光発電との違いや評判など

吉村順三が手掛けた作品例

『奈良国立博物館』転載元:https://www.narahaku.go.jp/guide/higashi/

吉村順三が手掛けた多くの建築物から、現代も残る有名な作品を5つご紹介します。

  • 軽井沢の山荘
  • 脇田山荘
  • 俵屋旅館
  • 愛知県立芸術大学
  • 奈良国立博物館 新館

どの作品も吉村順三を語る上で重要な建築物ばかりです。吉村順三について理解を深めるため、気になった作品を見に行ってもおもしろいですよ。

軽井沢の山荘

軽井沢の山荘、別名「吉村山荘」は、吉村順三の別荘として建てられました。軽井沢の豊かな自然環境と調和するよう設計された吉村山荘は、軽井沢を代表する邸宅として有名です。

建築当初の軽井沢は、西洋文化が根付くリゾート地として人気がありましたが、吉村順三はあえて日本の伝統文化を取り入れた和洋折衷の建築様式で別荘を建てました。

そのため、大正期の邸宅としては珍しい和風建築となっています。また、吉村順三が自身でデザインした家具や調度品も多く使用されており、吉村氏の芸術性や美意識が反映された代表作品です。

脇田山荘

脇田山荘は、吉村順三が手掛けた洋画家の脇田氏の自宅兼アトリエです。脇田美術館の隣に設けられた脇田山荘は、年間の定められた期間のみ予約をすることで見学できます。

大開口の窓に漆喰の内壁、暖炉やボイラー室など、依頼主である脇田氏の要望通り「年中通して住める」設計で建築されました。

広い中庭を囲うように建てられた細長いL字型のアトリエは、日本家屋の落ち着いた雰囲気とモダニズム建築が見事に融合した和モダンな作品です。

吉村順三の建築美を堪能することができる脇田山荘に、ぜひ一度足を運んでみてください。

俵屋旅館

京都にある俵屋旅館は、吉村順三が手掛けた日本古来の美意識を取り入れた作品です。

伝統的な和風建築と現代的なモダニズム建築が融合した建物で、京都を訪れる観光客に人気があります。

元々は江戸時代から続く伝統的な料亭として栄えていましたが、吉村順三が客室や床の間、庭園などを改装して、現代的な旅館として生まれ変わりました。

特に見応えがあるポイントは、吉村順三が京都の自然や伝統文化に対する深い理解をもとに設計した庭園です。

和モダンを取り入れた近代的な旅館でありながら、京都の伝統的な空気感を損なわないよう設計された庭園は、とても美しく調和された空間を演出しています。

愛知県立芸術大学

愛知県立芸術大学は、芸術大学に通う学生たちが自由に創造活動ができるように、吉村順三が環境に配慮して手掛けた作品です。

当時、東京芸術大学で教鞭をとっていた吉村氏は、高さ約10メートル・全長約110メートルの細長い3階建ての鉄筋コンクリート造キャンパスを建てました。

内装は光の入り方や階段の配置・窓の位置など、細部までこだわってデザインされています。

特に東西の両側に設計された白い羽根のような格子が特徴的で、キャンパス内にやわらかい光を取り入れます。

奈良国立博物館 新館

奈良国立博物館は、奈良公園の一角にある日本の文化財を収蔵・展示する国立博物館です。

奈良国立博物館には明治に建てられた「なら仏像館」と昭和初期に建築された「青銅器館」がありましたが、吉村順三の手によって西新館が1972年、東新館が1997年に設計されました。

吉村順三は、奈良盆地の山並みを背景に木材や大理石・ガラスなど、異なる素材を巧みに組み合わせて新館を設計しています。

また、展示スペースを約2倍に広げることで、収蔵品の展示の幅を広げ、見学者の体験価値を高めました。
展示室の内装にも、和風や洋風、伝統的なものから現代的なものまで、様々なスタイルが取り入れられています。

現代的なデザインに加えて、大きな吹き抜けによって自然光が入り込み、美術品や工芸品が美しく魅せる工夫を施しています。

吉村障子について

吉村順三が手掛けた作品は、建築物だけではありません。吉村氏は、和室だけでなく洋室にもマッチする障子として、吉村障子を考案しました。

吉村障子は、障子の枠となる「框(かまち)」と障子の網目部分「組子」の見付寸法を18ミリで統一して、見込を30ミリに仕上げる障子です。

従来の障子は框に彫り込みの引き手をつけるため太く設計し、組子を細く仕上げます。

しかし、吉村障子は框と組子が同じ太さなので、複数枚の障子を締め切った際に境目のない1枚の巨大な障子になります。

スタイリッシュなデザインで和室だけでなく、洋室にあわせると「和モダン」な雰囲気を演出できる吉村障子は、障子の最高傑作と称される作品です。

弊社、クオホームでは吉村障子を施工した実績もありますので、気になる方はお気兼ねなくご相談ください。

なお、吉村障子についてもっと詳しく知りたい方は、以下の記事を読んでみてください。

吉村順三は和モダンを生み出した建築業界の巨匠!

吉村順三は、日本の建築界に大きな影響を与えたパイオニアです。

奥村昭雄をはじめ、数々の巨匠に日本家屋とモダニズム建築を融合させた「和モダン」を提唱した存在として、影響を与えてきました。

吉村氏が手がけた作品は、どれも伝統的な和風テイストと近代的なモダニズム建築を融合させたデザイン性、光や周囲の緑を取り込んだ自然との調和が美しいです。

軽井沢の山荘や愛知県立芸術大学など、現在も見学できる吉村順三の作品は多く残されていますので、吉村氏の建築美と芸術性にふれるため一度訪ねてみましょう。

また、吉村順三が考案した障子の最高傑作と称される吉村障子は、家を建てる際に検討してみるべき障子とも言えます。
家に和モダンの要素を取り込みたい方は、ぜひ吉村障子の採用を検討してみてください。

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